ホーム > 鹿児島の歴史遺構(小松原、谷山方面)
31.中塩屋の射場山跡 ( なかしおやのいばんやまあと ) 所在地 鹿児島市小松原 |
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弘化3(1864)年、谷山中塩屋において様式砲術の演習が行われた。射場山は人工的に盛られた射場である。明治以降は、ここで草競馬も行われたという。 |
32.塩釜神社 ( しおがまじんじゃ ) 所在地 鹿児島市小松原 |
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昔は上塩屋、中塩屋、東塩屋、西塩屋、和田塩屋の製塩業者達の守護神であった。上塩屋、中塩屋、東塩屋、西塩屋は谷山郷塩屋村といい、製塩のよって生活を維持していた。毎年7月から十五夜の頃までは、夜通し塩をたいていたという。 |
33.煙硝倉跡 ( えんしょうくらあと ) 所在地 鹿児島市小松原 |
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現在の谷山電停付近一帯から清見橋を境にし、永田川下流の射場山公園付近、北にむかって小松原納骨堂付近一帯の5ヘクタールほどの地域に、藩の煙硝倉(火薬製造所)があった。碑が永田川下流の道路沿いにある。 |
34.玉里別邸跡 ( たまざとべっていあと ) 所在地 鹿児島市小松原 |
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島津久光が、次男忠済の病気療養ために建てた別邸。別邸建設と同時に周囲約3ヘクタールに小松を植え、これが「小松原」の地名の由来となった。周囲は白砂青松の行楽地として親しまれたが、昭和25-6年頃には海岸の北側が農業団地として干拓、その後徐々に埋め立てが進んだ。 |
35.谷山漁業協同組合・水揚げ場 ( たにやまぎょぎょうきょうどうくみあい・みずあげば ) 所在地 鹿児島市谷山 |
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埋め立てがすすむ前までは、漁業の町として知られていた谷山。魚としては、タイ・アカナ・キス・タコが有名で、明治15(1882)年には、漁船266隻の記録がある。現在かつての水揚場付近に、昭和25(1950)年建設の漁業組合の建物と、製氷・冷凍工場の名残りがある。 |