ホーム > 鹿児島の歴史遺構(鹿児島港、本港区方面)
明治天皇 行幸所 船形台場の碑 | |
新波止「波戸場」 | |
一丁台場 | |
名山堀跡 | |
浜崎太平次の鹿児島屋敷跡 | |
鹿児島食販組合社屋 (豊産業社屋) |
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石燈篭通り | |
旧鹿児島港北防波堤灯台 | |
薩摩倉庫運輸(石倉倉庫群) | |
石倉倉庫群 | |
大津倉庫(石倉倉庫群) | |
大津倉庫(石倉倉庫群) | |
塩釜神社 | |
大門口砲台跡 |
8.明治天皇 行幸所 船形台場の碑 ( めいじてんのうぎょうこうじょ ふねがらだいばのひ ) 所在地 鹿児島市小川町 |
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明治5(1872)年、明治天皇が初めて行幸し、その地は鹿児島であった。上陸に利用された新波止には記念碑が建立された。明治天皇は鹿児島城(鶴丸城)に入られ、島津久光らに会い、磯地区の工場群の見学も行っている。 |
9.新波止「波戸場」 ( しんはと「はとば」 ) 所在地 鹿児島市小川町 |
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小川町埋立の行われた弘化・嘉永年間(1844〜53年)に波除としてあったものを、斉興・斉彬の時代に台場として改造したと考えられる。薩英戦争当時は大小17門の大砲が備えれらた。明治5(1872)年には明治天皇が行幸、記念碑が建てられている。 |
10.一丁台場 ( いっちょうだいば ) 所在地 鹿児島市易居町 |
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沖の岸岐ともよばれ、明治5(1872)年に生産町海岸埋め立てと同時に建造されたといわれている。一丁台場は波除のための築造と思われるが、西側にある石塁の遺構は砲台の台座と思われる。 |
11.名山堀跡 ( めいざんぼりあと ) 所在地 鹿児島市易居町 |
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名山堀の名前の由来は、桜島が名山堀にうつりすばらしい眺めであったからと言われる。易居町一帯は安永年間(1772〜80年)の埋め立てと言われ、御厩(現在の南九州循環器センター)まで続いていた堀には多くの帆船が来航していたという。現在は市役所前から海岸までの「みなと大通り公園」となっている。 |
12.浜崎太平次の鹿児島屋敷跡 ( はまさきたへいじのかごしまやしきあと ) 所在地 鹿児島市金生町 |
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薩摩の貿易商人の代表・浜崎太平次は、事業の拡大に伴い指宿十二町湊の家は姉に任せ、自身は鹿児島に転居した。現在の山形屋駐車場付近か。 |
13.鹿児島食販組合社屋(豊産業社屋) ( かごしましょくはんくみあいしゃおく ) 所在地 鹿児島市泉町 |
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大正期に竣工されたと推測される。当時は鹿児島食販組合の社屋として利用されていた。 |
14.石燈篭通り ( いづろとおり ) 所在地 鹿児島市呉服町〜大黒町〜堀江町〜住吉町 |
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通りの名前のもとになった石燈篭は現在の位置とは違い、港の岸壁に一基だけあり(天保年間出版の「鹿児島風流」に描かれている)、港、錦江湾を航行する船の燈台の役目をしていたといわれる。明治22(1889)年の「鹿児島独案内」によると、いづろ通りは新道松山通りと共に、鹿児島市の二大商店街を形成していた。 |
15.旧鹿児島港北防波堤灯台 ( きゅうかごしまこう きたぼうはていとうだい ) 所在地 鹿児島市住吉町 |
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昭和9(1934)年に鹿児島港が修復された際に建立された鉄骨製の灯台。灯台には内務省下関土木出張所によって、鹿児島港修築工事の概要が記されている。 |
16.薩摩倉庫運輸(石倉倉庫群) ( さつまそうこうんゆ いしぐらそうこぐん ) 所在地 鹿児島市住吉町 |
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竣工は大正5(1916)年で、切妻造材瓦葺きの屋根で、道路に面した平側に3つ入口が開く。内部には荷擦木と呼ばれる柱に貫を入れ、そこに丸太を半分に割った材を取り付けてある。 |
17.石倉倉庫群 ( いしぐらそうこぐん ) 所在地 鹿児島市住吉町 |
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弁天町、汐見町(現在の泉町)、築町(名山町の一部)、住吉町の一帯は、安永年間、文政年間に埋め立てられ、明治末期に倉庫業が盛んとなっている。鹿児島倉庫合資会社(明治37)、鹿児島共同倉庫株式会社(明治41)が住吉町海岸に、汐見町には合名会社池畑運送店(明治37)など。 |
18.大津倉庫(石倉倉庫群) ( おおつそうこ いしぐらそうこぐん ) 所在地 鹿児島市住吉町 |
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竣工は棟札によると大正7(1918)年。大工棟梁は右近允伊之助。使用されている石材は、叩き出し仕上げが施してある。 |
19.大津倉庫(石倉倉庫群) ( おおつそうこ いしぐらそうこぐん ) 所在地 鹿児島市住吉町 |
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竣工は大正14(1925)年とされる。味噌醤油などの醸造業に使用する樽を保管していたといわれている。この倉庫はもともと2階建てで、柱には床梁を差した痕跡が認められる。 |
20.塩釜神社 ( しおがまじんじゃ ) 所在地 鹿児島市南林寺町 |
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塩釜明神とも呼ばれる。この地域は江戸期以前から塩田があったとされ、塩づくりを業とする人々が多く住んでいた。創建については寛永5(1628)年に藩主島津家久によると伝えられる。 |
21.大門口砲台跡 ( だいもんくちほうだいあと ) 所在地 鹿児島市南林寺町 |
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28代島津斉彬は、海岸防備のために砲台を築いた。ここもその一つで、嘉永7(1854)年に完成、薩英戦争においても使用された。 |